ストレスは私たちの「脳」に影響している

地下鉄サリン事件被害者を対象にPTSD研究を実施

加藤 その後、私は1995年3月に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件の被害者を対象にPTSD研究を行いました。

 実は、親が子を虐待した場合や、上司のパワハラ・セクハラなどによって部下の社員が精神的にダメージを受けた場合であっても、これらは必ずしも100%ストレスが原因とは言えません。親子の断絶があったとか、上司と部下は互いにもともと仲が悪かったとか、背景にさまざまな要因が複雑に絡んでいることが多く、単純に「ストレス(だけ)が原因」と判断するには微妙であり、研究の対象にはなりません。

 ところが、地下鉄サリン事件はオウム真理教とは何の関係もない人たちが、突然、被害に遭ったわけです。加害者との間にトラブルがあったわけでもなく、相互に無関係だった。そこで、サリン事件の被害者の皆さんに協力を求めて、研究対象になっていただくことから、この研究を始めました。

 この研究を行った当時、私はPTSD患者の脳の海馬の体積が減少するのはストレスによるものだと信じていました。それを多くの動物実験の結果が後押ししていたからです。

ストレスに対する脆弱性は人によって違う

 しかし実際には、同じようにサリンの被害は受けたもののPTSDにならなかった人たちがいました。そして、その人たちに比べて、サリン被害によってPTSDになった人たちの海馬の体積は小さいということが分かった。つまり、同じ強いストレスを受けても、PTSDにならなかった人たちの海馬の体積は、PTSDになった人の海馬の体積ほど小さくはなかったのです。

 これはどういうことかというと、まったく同じ環境で、同じストレスを受けても、ストレスに対する脆弱性の程度は人によって違い、脆弱性が強い場合はストレスの影響を強く受ける。海馬の体積がもともと小さい人はストレスに対する脆弱性が強く、PTSDになりやすいと考えられます。

 厳密には被害に遭った全員の、被害を受ける前の海馬の体積を調べることはできていませんから、被害に遭った前後の海馬の体積の比較はできていません。また、「海馬の体積が小さい」と言っても、明らかに萎縮があるというような、そういうレベルではありません。「背が高い人・低い人」がいるのと同じように、人にはそれぞれ個性があるのと同じ意味合いであり、能力が劣っているということでは決してありません。


加藤進昌(かとう
のぶまさ)さん
昭和大学発達障害医療研究所所長。公益財団法人神経研究所理事長。東京大学名誉教授

1972年、東京大学医学部卒業。国立精神・神経センター神経研究所研究室長、滋賀医科大学精神医学教室教授などを経て、1998年、東京大学大学院医学系研究科精神医学分野教授。2001年より、東京大学医学部附属病院病院長。2007年、昭和大学医学部精神医学教室教授、昭和大学附属烏山病院院長、昭和大学大学院保健医療学研究科教授を歴任。専門は精神医学、神経内分泌学、発達障害。

取材協力

笠井清登(かさい きよと)さん
東京大学大学院医学系研究科 脳神経医学専攻 臨床神経精神医学講座 教授

(まとめ:福井 弘枝=フリーライター)

出典:「日経Gooday」2021年12月13日掲載
https:// gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/20/111600039/120100011/
日経BPの了承を得て掲載しています

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